雄大な富士を眺めながら東海自然歩道の一部を歩く

スタート

この付近の山(毛無山)は、戦国時代から近世にかけて金山(かなやま)と呼ばれ金が採掘され、この麓地区は大変賑わいました。
今は居住者が数軒しかありませんが、徳川時代には麓千軒と呼ばれるほどの賑わいを見せました。

金山奉行だった竹川家
※現在もその子孫の方が生活しています。屋敷内へは立ち入らない様にして下さい。

500m 10分

麓のつり橋

4.2Km 80分

陣馬の滝
源頼朝が富士の巻狩の折一夜の陣を張ったといわれる陣馬の滝

途中猪之頭中学校から
ちょっと横道 富士養鱒場

3Km 50分

陣馬の滝近くの遠照寺境内にある溶岩樹型 太鼓石

小田貫湿原(こだぬきしつげん)
西側、中間、東側の三つの湿原に分かれており、この西側湿原は一番広く面積1.4㌶。
低地層湿原で基底には小富士火山泥流が分布し、この上を新富士火山新期の黒土層(クロボク)が覆っています。
湿原の中には81の大小の池があり、アサマフウロなどの植物が見られるほか貴重なトンボなど昆虫類、イモリなど両棲類が棲息しています。

1.6Km 15分

ダイヤモンド富士

ゴール

田貫湖(たぬきこ)
周囲約4キロの人造湖ですが、毎年4月と8月の20日近辺に太陽が頂上から昇り、
恰もダイヤモンドのような輝きをするのでダイヤモンド富士と呼ばれ、多くのカメラマンが訪れます。
また、夏にはキャンプ場として賑わい、四季を通じヘラブナ釣りが楽しめます。

湖畔のテントサイト

東海自然歩道は「休暇村富士」の裏から長者ヶ岳、天子ヶ岳へと続きます。健脚の方は田貫湖から長者ヶ岳⇒天子ヶ岳まで足を延ばしては如何ですか。

  田貫湖キャンプ場

  問い合わせ電話
 テントサイト(瓔珞の家)0544-52-0155

ルート案内図


※スタート地点までのバス運行が午前中1本のみにつき、貸し切りバスかマイカー対応をお勧めします。
マイカーの場合2台必要になります。
※バスご利用の場合は、富士宮駅より富士急行河口湖行きにて「グリーンパーク入口」で下車。
バス時刻表問い合わせ⇒⇒富士急静岡バス富士宮営業所 電話 0544-26-8151
※マイカーの場合は、国道139号線を山梨方面に向け北上し、上記バス停の所で斜め左に入る。
※バス停から「まほろば」まで2㎞。途中1.5㎞の地点に「麓のつり橋」への入口があります。

富士の巻き狩りと曽我兄弟の仇討ちの史跡を訪ねる

建久3年(1192年)源氏の棟梁源頼朝は鎌倉に幕府を開き、その翌年富士の裾野で
武将、勢子など10万人の人を集め狩りを挙行しました。富士の巻き狩りといわれる ものです。
これには ①軍事訓練 ②朝廷に対する武力の誇示 ③武家たちの慰安 と3つの目的があったとされています。
この巻き狩りの最終日の夜半、有名な曽我兄弟の仇討ちがありました。そんな史跡を訪ねてみませんか。

浅間大社流鏑馬像

建久4年(1193年)源頼朝が富士の裾野で巻き狩りをした際富士山本宮浅間大社に参拝し、流鏑馬の儀式を奉納したといわれています。
それ以来浅間大社では毎年5月5日に流鏑馬を行っております。

井出家と下馬桜

頼朝が巻き狩りの本陣とした井出家と、頼朝の馬を繋ぎ、此処で下馬したという下馬桜。
別名「駒止めの桜」ともいいます。
日本の五大桜のひとつで唯一国の特別天然記念物に指定されております。

見頃は例年4月中旬頃です。

あわれその 駒のみならず 見る人の 心をつなぐ 山桜かな

徳川慶喜


白糸の滝

この上に いかなる姫や おわすらん おだまき流す 白糸の滝

源頼朝

頼朝はこんなロマンチックな歌を詠んでおります。
アーチ状に広がりを見せる水のカーテンは、高さ20m、幅150mもあり、やわらかな絹のように見え、
白糸の名に相応しい女性的な美しさを見せています。
これは富士山の雪解け水が十数年を経て、伏流し流れ落ちるものです。

おびん水

滝の落ち口にある湧水池です。
頼朝が澄んだ池の面を鏡の代わりにして鬢のほつれをなおした。といわれています。
白糸の滝を下から見上げて、『この上にいかなる姫かおわすらん・・・』
と詠んだ頼朝が、心ときめかせて鬢のほつれをなおした姿が想像できます。
ここは富士講の霊場の一つでもあります。

音止めの滝

白糸の滝と隣り合わせて在ります。白糸の滝が
女性的なら音止めの滝は男性的です。
芝川の流れがおよそ25mの落差で落ちています。
その昔曽我兄弟が仇討の密議をしている時、滝の音が大きく密議の妨げになるのを嘆くと、音がぴたりと止まり、密議が済むと再び元の音をたてたといわれています。

曽我兄弟の隠れ岩

音止めの滝のほど近いところに在り、曽我兄弟はこの岩陰に身を潜め、父の仇工藤祐経を討つ密議を凝らし機会を狙っていました。
仇討ちは巻き狩りの最後の晩、篠突く雨の中で行われたといわれています。

工藤祐経の墓

この墓の辺りに工藤祐経の陣所があったといわれています。
兄弟が潜んでいた隠れ岩の150mほど東の小高い場所にあります。
旧暦5月28日、巻き狩りの最終日の夜半兄弟は篠突く雨をついて工藤祐経の陣幕に討ち入ったのです。

曽我兄弟の墓

曽我八幡宮の道路を隔てた東側の小高い丘の上に在ります。曽我兄弟の墓は兄弟が育った曽我の荘(小田原市)や近くでは富士市にもあります。
どこが本物か分かりませんが、数か所あるのは御霊信仰の表われだといわれています。

曽我八幡宮

頼朝が兄弟の孝心に感じ、畠山重忠を遣わし渡辺主水に命じ祀らせました。
主祭神は応神天皇ですが、相殿として曽我兄弟が祀られています。
祭壇には応神天皇と兄弟の木像が安置されており、江戸時代歌舞伎公演に際し、兄弟の木像および兄弟ゆかりの品が出開帳され、 そのお供えが神社の運営費に充てられたといわれています。


※ガイドはグループ又は団体様のみを対象とさせていただきます。

※個人的にお越しの際はバスの運行頻度極めて少ないのでマイカーをご利用下さい。